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動画 創造論でコロナウイルスを視る

創造論でコロナウイルスを視る

コロナウイルスの世界的な蔓延は一大脅威です。クリスチャンはこのことをどう考えればよいのでしょう?

ではよろしいでしょうか。このビデオはあなたのウイルスに対する考えを完全に覆すかもしれません。

ロブ・カーター博士とゲリー・ベイツ氏の対談

 

このビデオの話題は:

* ウイルスは‘害’で‘悪’か?

* なぜ、あるウイルスが有害か?

* どのようにしてウイルスは変化し、悪化するのか?

* このことは「非常に良かった」という創造の一部なのか?

* 歴史の中でどのようにしてウイルスが消滅したか?

* では、私たちはどうすればよいか?

ホスト: ゲリー・ベイツ 氏

ゲスト: ロバート・カーター 博士(海洋生物学)

 

さらなる情報は、次の、“Coronaviruses in Creation – Does the recent coronavirus outbreak support evolution?” by Dr Robert Carter (創造におけるコロナウイルス)をお読みください。

https://b-c.jp/2020/05/31/創造におけるコロナウイルス/

https://gophertree.jp/2020/05/30/創造におけるコロナウイルス/

 

Adapted with permission from CMI from the original video: https://creation.com/media-center/youtube/ct-coronavirus

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創造におけるコロナウイルス

最近のコロナウイルスの突然の大発生は、進化論を裏付けるのか

by Robert Carter      Keith Barker 訳
この記事は、Creation Ministries International の許可を得て掲載しました。
Original: https://creation.com/コロナウイルス
National Pathogen Library

National Pathogen Library                                           2019-nCovコロナウイルスの電子顕微鏡画像

世界に吹き荒れている新しいウイルスがあります。 私たちのほとんどがそれを「コロナウイルス」と呼んでいます。 それは最初に中国の武漢で確認され、すでに複数の国々で出現しています。 多くの人が亡くなりました。 私たちはこれをどう考えるべきなのでしょうか。 ウイルスは進化論を裏付けるのでしょうか。 創造論で説明できるのでしょうか。 これが神様がお創りになった「甚だよかった」創造の部分を成していることはあり得るのでしょうか。 今からお話することに心の準備はできていますか。 ウイルスについてのあなたの考えが、今まさに覆ることになりますから。

ウイルスのほとんどは有益

多くの人は聞いて驚くかもしれませんが、ほとんどのウイルスは体にいいものです。 人間の体内および体表の細菌の数は、人体を構成する細胞より多い、と聞いたことがありますか。 それは事実です。 しかし、腸内細菌よりも、腸内ウイルスの数はさらに多いということも事実です。 実に、人体内ウイルス集団(「ヴァイローム(virome)」と呼ばれる1)が人体内の細菌の数と種類を調整する重要な役割を果たしています2。 ウイルスがなかったら、私たちは腹ペコの腸内細菌群にあっという間に食べられてしまうかも知れません。
海に泳ぎに行ったことはありますか。 あるなら、あなたは高濃度の細菌のスープの中で泳いでいたのです。 海水には非常に多くの様々な細菌がいます。 人間の腸内と同様、外洋水域も細菌よりウイルスの方が数が多く、それらのウイルスはおそらく、細菌群の維持と均衡のために一つの役割を果たしているのでしょう。 ウイルスがなかったら、魚はどうなるのでしょうか。 生息できるのでしょうか。 これは、面白い課題で、いつか、進取の気性に富んだ若い科学者が答えを出すことができるかも知れません。
ご存知でしたか? あなたの細胞はウイルスの構成部分と同じものを作っています
湖に泳ぎに行ったことはありますか。 あるなら、あなたは細菌とウイルスのスープの中で泳いでいたのです。 その湖には、カモ、ハクチョウ、あるいはガチョウも泳ぎ回っていましたか。 それなら、あなたはインフルエンザウイルスに囲まれて泳いでいたのです。 実に、水鳥は、可能なあらゆる種類の、人間にはうつらないものも含むインフルエンザウイルスを保有しています。 これらのウイルスは、これらの鳥が排便するときに水に取り込まれます。 しかし、そのウイルスがそこにあることが、これらの鳥に病気を引き起こすことは普通はなく3、また、たとえそのウイルスがあなたの目、耳、口に入ってきていても、あなたに病気を引き起こすことはありません。 進化論を信じる人は、これらの鳥が(普通は)そのウイルスで病気にならない理由は、鳥とウイルスとの間の何百万年にも及ぶ戦争の末に停戦協定、つまり、宿主はウイルスに住む場所を与え、ウイルスは宿主を殺さない、という状態に至ったのだ、と言うかも知れません。 創造論の観点から言えば、インフルエンザのウイルスは、おそらく、これらの鳥のために、何かの有益な役割を果たしているのだろう、と考えますが、この課題にはまだ誰も取り組んでいないのではないかと思います。

一部のウイルスは、ゲノムから抜け出たかも知れない

ご存知でしたか? あなたの細胞はウイルスの構成部分と同じものをたくさん作っています。 私たちの体は、タンパク膜を作り、DNAとRNAを複製します。 DNAをゲノムの別の部分へ輸送するメカニズム等もあります。 従って、一部のウイルスは、通常の細胞活動で発生したのかも知れません4。 部品はすべてそこにあり、時どき、ほとんどウイルスのようなものが組み立てられています。 ほんの僅かな偶然の変化が起こるだけで、収拾がつかず拡散するものができ上がってしまうことが考えられます。

一部のウイルスは、本来の設計の制約から抜け出たかも知れない

pixabay.com   カモをはじめとする水鳥は美しいが、すべての既知の種類のインフルエンザを保有している。

しかし、すべてのウイルスがゲノムに似たものではありません。 病気を引き起こす多くのウイルスは、目的を持って設計されたように見えます。 設計されたように見えるこれらのウイルスはどこから来たのでしょうか。 もし、細菌、ネズミ、あるいは人間の細胞に感染するように設計されたウイルスがあるなら、おそらく、そのシステムには抑制と均衡の機能もあるでしょう。 もし、抑制機能の一部が不全に陥るなら、そのウイルスは本来の設計より、はるかに速く複製することができてしまうかも知れません。 そうなったら、病気をもたらすことになります。 このように、「有益な」ウイルスが危険なウイルスに化けることが起こり得るかも知れません。 それには、ほんの僅かな突然変異が起こるだけでいいのかも知れません。 例えば、細胞認識因子に変化があると、宿主細胞は、あるウイルスを認識することができなくなるため、そのウイルスを調整できなくなります。

異種に飛び移るウイルスは特に危険

それでは、今回のコロナウイルスについて話を進めます。 これは、人類に属さないウイルスです。 異種間を飛び移るウイルスは人獣共通感染症(zoonotics)と呼ばれます(「zoo」の語があることに注目)。 インフルエンザ5、コロナウイルス科(今回の新型、SARS、およびMERS6)、およびHIV(AIDSの原因)を含む人獣共通感染症の証拠はたくさんあります。 これらのすべては人間に病気を引き起こします。 これらのうちいくつかは、長い間人類の間に留まりました。 しかしながら、幸いなことに、多くの新型ウイルスは燃え尽きます。 ウイルスはまた、時間とともに弱くなっていきます。 ウイルスは増殖の過程で、発生する突然変異を蓄積します。 時には、そうした突然変異によってウイルスは感染力を失うほど弱ることがあります。 しかし、いつもそうなるとは限らず、HIVや風邪のウイルス(これもコロナウイルスの一つ)のように、突然変異が蓄積していても感染し続けることができるものもあります。 自然消滅するかどうかは色々な因子が関与しており、ウイルスごとに異なります。

新興ウイルスの出現は現実の脅威

pixabay.com

歴史を通して、人類は壊滅的な疫病に襲われてきました。 その中には、黒死病のように、特徴がはっきりしているものがあります(これはノミが媒介した細菌によるものでした)が、困惑して頭を掻くしかないような、特徴のはっきりしないものもあります。 ただ、複数の古代の王国、文明、および都市が多数の病者と死者を出す甚大な被害に見舞われた時期があったことは、よく知られていることです。 歴史の記録から病気の原因を推測できる場合もありますが、できない場合がほとんどです。
創造の初めには、いかなる病気も存在しませんでした(死と苦しみについてのQ&Aを参照(英語))。 それなのに、これまでの六千年の間ずっと、病気は発生しています。 ウイルス性の伝染病は過去にすでに発生したから、将来はもう発生しないと期待できる理由はありません。 しかし、これだけで怖がる理由にはなりません。 むしろ、この地上で私たちは、はかない存在である、ということを厳粛に受け止めるべきだと思います。
感染拡散を防ぐため、あらゆる安全措置が講じられ、世界は新たな脅威に、より迅速に対応し始めています。 検疫、手洗いの徹底、およびワクチン接種はどれも、その戦略の一環であり、病原体の毒性、関連リスク、およびワクチン開発の糸口発見の有無、によります。 例として、最近のアフリカでのエボラ出血熱の突然の大発生について考えてみましょう。 その過酷な状況にさらされていた人々を助けるために何百万ドルもの費用を要しはしましたが、全世界への拡散を再度、防ぐことに成功しました。 もう一つの例は、現在、中国で吹き荒れている新型コロナウイルスの大発生です。 大変幸いなことに、20%前後だった死亡率がその半分ぐらいに下がってきました。 医師が経験を重ねることによって治療方法が改善され始めたことが、反映されているのでしょう。 しかし、死亡率がたとえ1~2%程度であっても、普通の風邪のように大流行したら、死者は何百万人にもなります。 しかし、科学界は非常に素早く対応しました。 短期間に、このウイルスの遺伝子配列の全容が複数明らかにされ、公開データベースに追加されました。 電子顕微鏡の写真も提供されました。 前例のない速さでした。

今回のコロナウイルスはこれからどうなるのか

ウイルスは神様が創造した秩序の一部を成しています
今回の新型コロナウイルスが、過去のウイルスの突然の大発生と同じ経過をたどれば、自然に燃え尽きる可能性があります。 これが、1917年に世界中で大流行して何百万人もの死者を出した人間のH1N1インフルエンザウイルスに起こったことである、と考えられています。 このウイルスは、40年間も存続した後、姿を消しました。 しかし、1976年に再び出現しました。 研究所の保管サンプルから流出したもので、33年も存続した後、2009~2010年の豚インフルエンザのパンデミック中に再び姿を消しました。 豚インフルエンザに関しては、致死性が特に高いウイルスではありませんでした。 これらのウイルスが持っていた致死性は、後の変種にはありませんでした。 また、人間のH1N1ウイルスが人類の中で存続できなかったという事実は、ウイルスが遺伝的エントロピーを経ていた良い証拠です。 実に、人間のH1N1ウイルスは、活動的だった期間に、年に14個超の割合で突然変異を蓄積し、絶滅する直前には、変異はゲノムの10%以上を占めていました7。 この結果は、事前に公表していたコンピューターシミュレーションとも一致しました8。 しかし、コロナウイルスはインフルエンザではありません。 また、このウイルスがどこで、どうやって現れたかも確かではありません(コウモリから(他の動物を経由して)出てきたようですが)。 いずれにせよ慎重な対応が必要であり、各国の医療体制はこれを深刻で差し迫った脅威として扱わなければなりません。 遺伝的エントロピーの効果が発揮されるまで、何十年も待つわけにはいかないのです。

私たちは各自どう対応すればいいのでしょうか

創造・呪いモデルでは、再び新たな病気が現れないと期待できる根拠はありません。 新たな病気が生じるとき、私たちは各自冷静にリスクを分析して、適切な予防策をとるべきです。 また、困っている人に対しては、それは自分の身に降りかかっていたかも知れないことを受けとめ、助けとなる気持を常に持つべきです。 寄付金も一つの助けとなるでしょう。 クリスチャンの援助団体を通してであれば、より望ましいでしょう。 しかし、それと同時に、私たちクリスチャンは福音を伝える機会を逸するべきではありません。 多くの場合、命が実際いかにはかないものであるか気付くとき、人はイエス・キリストによって与えられている希望を受け入れる姿勢を示す傾向があります。

まとめ

ウイルスは神様が創造した秩序の一部を成しています。 その多くは有益な役割を担っていることがわかります。 しかし、私たちが、多くの苦しみ、死、および病気で満ちている、罪のため呪われた世界に生きていることも事実です。 歴史を通して、一部のウイルスは危険なものになり、人類に計り知れない苦しみを引き起こしてきました。 必要に迫られ、人類はそれらを食い止めようと試み、革新的な戦略を開発してきました。 神様は私たちに長寿と健康のいずれも約束してはいません。 しかし、この罪のため呪われた世界も、私たちの病気で壊れる体もあがなうことを、神様は約束してくださいました。 というわけで、私たちの希望は、いずれにせよ今ここにあるこの地球にあるのではありません。 私たちの希望を全能の創造主なる神様に置こうではありませんか。 救いの時が近づいているのです。

備考・参考文献

  1. (virome)の概要 進化論に立つ所が発行したものですので、適切な注意を払って使ってください: sciencedirect.com/topics/immunology-and-microbiology/human-virome.
  2. Here is a paper from a biblical Creation-Fall perspective about the important function of the mammalian virome: Francis, J.W., Ingle, M., and Wood, T.C., Bacteriophages as beneficial regulators of the mammalian Microbiome, Proc. Int. Conf. Creationism 8:152–157, 2018; creationicc.org.
  3. Barber, M.R. et al., Association of RIG-I with innate immunity of ducks to influenza, PNAS 107(13):5913–5918, 2010.
  4. Terborg, P., The ‘VIGE-first hypothesis’—how easy it is to swap cause and effect, J. Creation 27(3):105–112, 2013. (VIGE = Variation-Inducing Genetic Element)
  5. Ma, W., Kahn, R.E., and Richt, J.A., The pig as a mixing vessel for influenza viruses: human and vertinary implications, J. Mol. Genet. Med. 3(1):158–166, 2008.
  6. A coronavirus (similar to the new coronavirus), the cause of Middle East respiratory syndrome.
  7. Carter, R.W., and Sanford, J.C., A new look at an old virus: mutation accumulation in the human H1N1 influenza virus since 1918, Theoretical Biology and Medical Modelling 9:42, 2012.
  8. Brewer, W., Smith, F.D., and Sanford, J.C., Information loss: potential for accelerating natural genetic attenuation of RNA viruses; in: Marks II, R.J., Behe, M.J., Dembski, W.A., Gordon, B., and Sanford, J.C. (Eds.), Biological Information—New Perspectives, World Scientific, Singapore, pp. 369–384, 2013. 本文に戻る。
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進化論者だった私がイエス・キリストを信じた経緯

この記事の英語版をお読みいただけます。creation.com

安井 亨(バイブル&クリエーション/ゴフェルトゥリー・プロダクション)

私は、大手電機メーカーで電子情報機器のハードウェア開発に従事する技術者でした。日本において高度成長時代であった1980年代半ば、開発競争は熾烈を極めていました。それで、私は月曜から土曜まで毎日真夜中まで仕事をしていたのです。

仕事に追われる日々

私には、妻と幼い女の子と男の子がいましたが、日曜以外に顔を合すことはまずありませんでした。私の上司はよくこう言っていました。「安井君、仕事人の価値とは、どこまで自分と家族を犠牲にして仕事に打ち込めるかだ。」――私は、多くの意味でその上司を尊敬していましたが、仕事においては大変厳しい人でした。

そんなある日、私は人事から呼び出されました。「安井君、海外転勤だ。家族同伴で。」 通常、家のことは家族に任せて1週間後に渡航し、3か月後に家族を渡航先に呼び寄せるのが普通です。しかし、私の場合はなぜか渡航が3年も遅れたのです。

私は街の英会話学校に行きました。先生はアメリカ人宣教師でした。私の妻も英会話を習いたいというので、その宣教師がいる教会の英会話教室に行くようになりました。そして1年経って妻は私にこう言ったのです。「あのね、私、イエス・キリストを信じてクリスチャンになったのよ。」 私は、生活がどうなるか見ていると、とても面白くないことになりました。

ホームアローン

私にとって貴重なプライベートな時間である日曜日に、朝、・・・いや(疲れているので)昼に起きたら家族がいないのです。妻が子どもたちを連れて教会に行っている!!! そして、しばしば午後遅くに、車で家族を迎えに行くのですが、問題を感じていました。その教会には私の英会話の先生がいるのです。見つかると、「ああ、安井さん、よく来ましたね。」と言って、教会に連れ込まれるに違いない、と恐れていたので、車を教会から少し離れて停め、教会から人が出て来ると首を引っ込めて隠れていました。

私の家の中には妻の聖書がありました。そして、妻がいない時に聖書をちらっと見ました。当然聖書の初めから読みます。するとつまずきました。天地万物が6日間で創造され、人間は大人から、エバはアダムの肋骨から・・・。教会にいる人たちはどう信じているのだろう?思考停止しているのか?

聖書を覆そうとして進化論を勉強

しかし、しめた!と思いました。進化論をよく調べて教会の人たちを論破しよう、聖書は非科学的だと。そうすれば家族は教会から取り戻せると思ったのです。そしてさらに1年が過ぎた頃、私は意を決し、教会に足を踏み入れました。そして、「進化論と創世記は矛盾している。どう説明するのか?」と切り出しました。しかし、その場所にいたのはアメリカ人宣教師ばかりで、そのようなことを英語交じりの日本語で話しても通じるはずはありません。せっかく勉強して来たのに、・・・。野球でバッターボックスに立って見逃しの三振をしたような気持でした。しかし、彼らは私に棚にあった一冊の本を貸してくれました。進化論の争点 (Sylvia Baker著、宇佐神正海訳)という本でした。

私は家に帰り、その本を開いて驚きました。あの神話のように思った創世記の記事について科学的にコメントしているのです。興味深く感じた一方で、次はその本の矛盾を見つけ出そうと考えて創造論の本を読み漁ることに・・・。

しばらくして私は、科学的と思っていた進化論がそうではないことに気づきました。それで、妻に、「あのね、ひょっとしたら、真理は進化じゃなくて創造かもしれないね」と何気なく言ったのです。すると、妻はすかさず、「そのことがわかったら教会へ行くって言ってたじゃないの」と言いました。「しまった」と思いました。進化論は否定できないと思って軽く言ったことがあったからです。

これは権威の問題だ!

私は怖れを感じ始めました。もし、創造が本当なら、・・・私を創造した存在がいるということ、・・・。私はメーカーの技術者で、こう考えました。製品には設計者がいる。製品の存在意義と目的は製品自体にあるのではなく、設計者が製品にその意義と目的を持って与えているのだ。すると、私に創造者がいるなら、私の存在意義と目的は創造者が持って与えているということか?!・・・。これは権威の問題だ!!!

私の怖れはこういうことでした。起きているほとんどの時間を会社で仕事をしている私にとっては会社と上司は権威でした。そして家に帰れば妻が・・・、これは冗談。それでこれ以上の権威は要らない!・・・と思ったのです。それで、私は日曜日にもっと教会から離れて車を止め、車の底に隠れて家族を待つようになっていました。宣教師というよりも、創造主である神から逃げ隠れをしたのです。自分の創造主を意識したとたんに逃げ隠れをする、今思えば、アダムがしたこと(創世記3:8)と同じでした。

海外転勤の話があってから3年経っていました。渡航前に海外出張がありました。製品のテストなどで何度も飛行機を乗り換えなければなりませんでした。当時、ハイジャックなどの事件や事故が話題になっていて、不安に感じていました。空港に向けて家を出る時、妻は私にこう言いました。「あなた、まだ信じていないでしょ。もしハイジャックや事故があるなら、飛行機が墜落する前にイエス・キリストを信じるようにね。」 創造主から逃げ回っていた私はにわかに動転し、「ほっとけ」ということを言ってバスに乗りました。

すると、バスの中で落ち込んでしまったのです。万が一にも事故があったら・・・どうしよう? 私が妻に最後に言った言葉とは・・・、「ほっとけ!!!」。私は、これは様にならない、と思いました。この言葉だけ取り消したいと思いました。それで空港で搭乗間際になってようやく意を決し、あたふたと妻に電話をかけてこう言いました。

「あのね、さっき『ほっとけ』と言ったことを取り消したいんだけど・・・」

すると妻は「えっ、じゃあ、イエス様を信じるのね?!」と言ったのです。

私は「しまった」と思いました。喉からもう一度「ほっとけ」が出かかったのですが、それでは繰り返しになる!やけくそで、「わかった、信じるから、お祈りしてくれ。」と言って、そして飛行機に飛び乗りました。

そして、飛行機の中でまた「しまった!!!」と思いました。しかし、男が一度言ったら・・・、という変なプライドで、歯を食いしばってクリスチャンを始めたのです。果たして、こんな経緯でクリスチャンになってよいのだろうか!?

それから、私は長い海外出張から帰国し、洗礼を受けた翌週にイギリスに転勤、家族共に8年間住みました。

後になって、私が怖れを感じた権威のこと、私が思い違いをしていたことに気づきました。イエス・キリストはご自身の権威についてこう言われたのです。

だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです。」 (ヨハネ10:18)

当時、権威に対しては私が犠牲を払うものと思っていました。しかし、イエス・キリストの権威は逆でした。何と、宇宙も私をも創造された方が、死から私を救うために、私の身代わりに十字架で死なれる権威だったのです。今では、私はこのことに圧倒されています。ハレルヤ!

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進化論の難題(その2)

最初の生命の起源

進化論では、38億年前に無生物(生物でない物質)から単細胞生物が発生した。そして、自然選択を繰り返すことで進化し、ヒトにまで進化した。」と言います。これが、現代社会のゆるぎない常識となり、世界中のほとんどの人が信じています。しかし、進化論は、どれほどの証拠に基づいているのでしょうか?

中学理科の教科書は、ダーウィンの進化論を次のように紹介しています。

【チャールズ・ダーウィンはガラパゴス諸島では島ごとに形が少しずつ異なる生物たちに出会い、彼の進化論は大きな影響を受けました。1859年に出版された「種の起源」の中で、「自然のなかでは同じ種であってもいろいろなタイプ(変異)が生じ、これらの間で競争が起こり、勝者が生き残る。自然は、この競争に強い性質を持った勝者を選び、代を重ねることで進化する」という自然選択説を説きました。】

まず、ここで、自然のなかでは同じ種であってもいろいろなタイプ(変異)が生じたのは、ダーウィンは種類の中の変異を見たのであって、別の種類への進化ではありませんでした。そして、未だに別の種類に進化したことは観測、確認されたことがありません。‘絶滅種’や‘絶滅危惧種’はよく耳にしますが、‘新登場種’や‘新登場期待種’なんて聞いたことがありませんね。

さて、ここでもう一つ、ダーウィンの説明には重大な欠陥が見えています。進化は既存の生物種に自然選択が起こるとしていますが、生命の起源、最初の生物の起源については(著書「種の起源」の中にも)一切触れていません。

今では単細胞生物の細胞内が電子顕微鏡で見えていますが、まるで大都市の構造のようであり、想像を絶する複雑さです。現代の進化論で、最初の生命(単細胞生物)がどうしてできたのか全く説明できていないのです。沼の澱みで、あるいは海底の熱湯噴出口で偶然に発生したと言われましたが、それでも説明できないので、宇宙から飛来したのではないか?と地球外生命の探査に望みをかけている有様です。しかし、それは出所を探しているのであって、生命の起源の説明にはなり得ません。

すなわち、観測事実は種類の中の変化のみで、それは生命の起源の説明にも、単細胞生物からヒトへの進化の証拠にもなりません。進化論とは、証拠に基づく科学ではなく、無神論を前提とした、人の意見(哲学)でしょう。

 

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進化論とその長い歴史年代は福音に影響するのですか?

二つの歴史、二つの死生観

聖書は終始、「創造主は、死のない世界を創造されたが、人の罪によって死が入り、キリストが十字架の死という代価を払って信じる者を死のない世界に買い戻す」という主のマスタープランを教えています。
すなわち、初めに死のない世界があり、数千年間死が介入として入り、将来死のない世界が回復させられるということです。(上図のライン1)
一方、進化論とは、「38億年くらい前に、偶然、最初の生物であるバクテリアが発生し、生存闘争を通して人間にまで進化した。」、すなわち、「死は世界の初めから存在し、死を通して生命が進化し、未来も死は永遠に存在する」と主張する学説です。(上図のライン2)

もし、クリスチャンが、進化論や、あるいは進化論が主張する膨大な歴史年代を受け入れてしまうとどういうことになるでしょうか? アダムの前に膨大な(進化の)年代があって、アダムの罪の前、いわゆるこの世界の初めから死が存在したことになり、キリストの贖いの理由と意味を喪失します。たとえば次の聖書箇所です。

 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。(1コリント 15:21、22)

最後の敵として、死が滅ぼされます。(1コリント 15:26)

もし、初めから死があり、死を通していのちが出現したのなら、どうして死は最後の敵となり得たでしょうか。
人の意見から聖書を解釈するのではなく、聖書から世界を見る者とされたいと願います。

 聖書はすべて、神(創造主)の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。(2テモテ3:16)

図の引用:Answers In Genesis より
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進化論の難題(その1)

中学理科の教科書は、ダーウィンの進化論を次のように紹介していました。

【チャールズ・ダーウィンはガラパゴス諸島では島ごとに形が少しずつ異なる生物たちに出会い、彼の進化論は大きな影響を受けました。1859年に出版された「種の起源」の中で、「自然のなかでは同じ種であってもいろいろなタイプ(変異)が生じ、これらの間で競争が起こり、勝者が生き残る。自然は、この競争に強い性質を持った勝者を選び、代を重ねることで進化する」という自然選択説を説きました。】

ここで、「自然のなかでは同じ種であってもいろいろなタイプ(変異)が生じ」たのは、ダーウィンは自筆の通り種類の中の変異を見たのであって、別の種類に変化したのを観測したのではありませんでした。しかし、ダーウィンは代を重ねることで、種類を超えて‘微生物から人間にまで’進化するという説を説いたのです。しかし、人類の歴史の中で種類が変化したという例は一度も観測されたことがありません。すなわち、観測事実は、種類の中の変異(種分化)はあるが、種類を超えて微生物から人間にまで進化する(大進化)はないことを示しています。さて、種類を超えて進化しない理由は多くありますが、その一つを紹介しましょう。図で、犬の両親が共に中くらいの長さの毛(長い遺伝子Lと短い遺伝子S)を持っています。彼らの子どもは、短い毛SSが1、中くらいの毛LSが2、長い毛LLが1の割合で生まれます(メンデルの法則)。それらの集団がいる地域に大寒波が襲うと、長い毛の犬LLだけ生き残り、短い毛SSと中くらいの毛LSの遺伝情報は消滅しました(自然選択)。しかしまだ犬です。微生物から人間に至るのに必要な大量の遺伝情報の増加はどこにも見当たりません。逆に、遺伝情報は減少しており、進化ではなく退化です。(詳細は書籍「創造の確かな証拠」の27~32ページをご参照ください)

聖書にはこう書かれています。

神(創造主)は、種類にしたがって野の獣を、種類に したがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。(創世記1:25)

 

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ウルル(エアーズロック)の成因

  写真は、光年の謎を解く二つの理論を提唱した物理学者ジョン・ハートネット博士の自筆の油絵「ウルル」です。それに因んで、ウルルの成因についてお分かちします。

  ウルル(エアーズロック)はオーストラリア中央部の砂漠の中にある高さ350m、周囲9㎞の堆積砂岩でできた一枚岩です。C.トワイデイルら地質学者たちがその構造を調査し、成因について次のように発表したことが通説になっています。

  『6億年前から水がマズグレーブ山脈を浸食した砂を100㎞北にある大きな窪みに徐々に堆積、3.5億年前に固まって砂岩の塊になり、地殻変動の圧力で傾きながら隆起した。その後、長い時間をかけて表面がゆっくり浸食、現在の形になった。』 しかし、ウルルの岩質については進化論の長い地質年代で説明できていません。

  実際、ウルルの岩質は水による粗い花崗岩や長石の粒子砂岩で、粗い粒子と細かな粒子が混在していて全く分類されておらず、ウルルのどの堆積層も同様です。もし、長い時間かけて水底に堆積したのであれば、粒子の粗さで分別された地層になり、細かい粒子は粘土になったはずです。また砂岩の表面は、粗い粒子が浸食されずに鋭いエッジが立っており、新しい証拠です。もし何億年も経っていれば、このような砂岩の一枚岩は熱と水分と風で風化して崩壊しているはずで、結局、どうしてウルルが存在しているのか、謎となっているのです。

  聖書には、約4500年前に世界を覆ったノアの時代の洪水が記されていますが(創世記7章)、それが起こったのなら、ウルルの成因をすっきりと説明します。

 『巨大な淵から湧き出た大量の水が地表を削り、粗さを分別する間もなく一気に窪地を埋め、洪水中の地殻変動で隆起して傾き、洪水の終わりに引いていく水流で表面が削られ、現在の形になった。』

 地質調査でも、オーストラリアの砂漠はかつて水浸しで、今に至るまで渇き続けていると報告されています。

  ・・・彼らは次のことを見落としています・・・当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。(Ⅱペテロ3:56

参考文献: The origin of Ayers Rock Andrew Snelling)  http://creation.com/ayers-rock で閲覧できます。

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創造からの福音宣教のお勧め

 よく、クリスチャンは、「悔い改めよ、イエス様があなたの罪のために死なれた!」と伝道します。しかし、聖書の土台のない日本の人たちは、「なんと奇妙な考えなんだろう。自分は罪人ではない。外国の神はいらん」という反応をするのです。自分の創造主を無視して、自分を基準に生きていることが罪であるという聖書の世界感を持ち合わせていないからです。

聖書に異邦の国ギリシャで起こった同様のことが書かれています。

 「エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のあるものたちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか。」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい。」と言った。パウロがイエスと復活とを述べ伝えたからである。」(使徒17:18)

 「私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとってはおろかでしょうが、」(第1コリント1:23)

 ですから、おろかなことと反応したギリシャの人たちにパウロは次のように伝道しました。

 「私が道を通りながら、あなたがたの拝むものをよく見ているうちに、『知られない神に。』と刻まれた祭壇があるのを見つけました。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、教えましょう。この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神(創造主)は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。」(使徒17:23、24)                    

 すなわち、パウロは、まず、万物の創造主を伝えることから伝道を始めています。ギリシャは進化論(ギリシャ哲学は進化論)と多神教と偶像の国であったからです。

 さて、今の日本は進化論、八百万の神々と偶像の国。当時のギリシャとそっくりではありませんか。もっとも福音の伝わりにくい国と言われる背景にはこのことがあるのではないでしょうか。もっとも、近代、進化論がパラダイム化したことで、キリスト教国といわれる国々も聖書の土台を喪失してきたと言われています。パウロの異邦人伝道は今日の世界に、特に日本伝道の指針となるのでは。

上図(AIG提供):「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。(エレミヤ4:3)

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アダムのあばら骨 (Adam’s rib)

 
 神(創造主)である主は深い眠りをその人に下されたので、彼は眠った。そして彼のあばら骨の一つを取り、そのところの肉をふさがれた。神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ、その女を人のところに連れて来られた。(創世記2:21、22)

 この箇所についてはいろいろな見解があるそうです。「アダムはあばら骨が一本欠けたまま生きた。」、「男性は女性よりあばら骨が一本少ない」、「創世記は非科学的であり、寓話だ。」等等。私たちの常識では理解、弁明が困難ですね。私が10年余り前に創造論団体のCMIを訪問したときのことです。その代表のカール・ウィーランド博士が夕食に誘ってくださいました。その時、博士は片足が義足、片手が義手、片目が義眼であることがわかりました。どうしたのですか?と尋ねると、証して語ってくださいました。
 「私はかつて医師でした。往診の帰りにトラックと正面衝突したのですが、命は奇跡的に助かりました。意識が戻ると病院で何十回も手術を受けていました。顔の半分がつぶれたので、ほお骨を再製するために私自身のあばら骨が抜き取られていたのです。それで不安になって専門医に、『私も医師で恥じ入ってお聞きしますが、あばら骨を無くして大丈夫ですか?』と質問すると、その専門医は、『骨を包んでいる骨膜を残して上手く骨を抜き取ると骨が回復します。関節のないあばら骨だけ利用できるのです』と答えてくれました。私は、この時代になって、私の身体を通して主がご自身のみことばを弁明されたのだ、と思いました。それで、退院後、職を辞し、聖書的創造論からの福音団体を始めたのです。」と。

(CMIのサイト: http://creation.com

アバター 著者:事務局

なぜ、今、光年の謎?

 「創造からの福音」ミニストリーに関わっていると、頻繁に問われる質問のパターンがあります。

Q 世界の年齢をどう考えますか?

A 聖書(の系図)からは6千歳くらいです。

Q では何億年の進化は無かったのですか?

A 進化して人間になったのなら、アダムの罪の前に死があったことになります。

Q では化石や地層はいつできたのですか?

A 聖書にはノアの洪水という世界的激変が記されているので、その時にできたと考えられます。

Q では、次の質問に答えられますか? 百億光年彼方にある星の光は、地球に届くのに百億年かかります。それが見えている(光が届いている)のは百億年前にその星(宇宙も)が存在したということです。6千歳で足りますか?・・・

 進化論を受け入れながら聖書を擁護しようとすると、聖書を解釈しなければなりません。19世紀にダーウィン進化論、20世紀にビッグバン(宇宙進化論)が世に受け入れられたことに符合して、聖書(創世記)解釈も‘進化’してきました。実際、現代の知性でもって聖書全体を再解釈した神学を打ち立てよういうムーブメントが興っています。しかし、この方向は、主のみことばより上位に人間の知性を置いていること、その知性(進化論)とは無神論であること、そして解釈した人に栄光が帰されることに注意すべきでしょう。

 一方、20世紀終盤から、それとは逆方向の、聖書のみことばから自然界を見直す研究が進み、難攻不落と目された光年の問題も解明されました(なお、証明は不可能)。その「光年の謎と新宇宙論」の著者、ハートネット博士はこう言います。「クリスチャンは神(創造主)に最も栄光が帰される理解を選び取るべきだ。そうしていくなら、きっと真理に導かれるだろう。聖書からこの世界を見直すと、聖書の記述どおりであると知って驚嘆し、創造主に対して畏怖を覚える。宇宙はそのように創造され、人はそのために知能が与えられたのだから。」 

・・・天は神の栄光を語り継げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。(詩篇19:1)

(詳細は、ジョン・ハートネット著「光年の謎と新宇宙論」、DVD「光年の謎を解く」、ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第5章をご参照ください)