カテゴリーアーカイブ 進化論/創造論

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科学的でない進化論(その1)

中学理科の教科書は、ダーウィンの進化論を次のように紹介していました。

【チャールズ・ダーウィンはガラパゴス諸島では島ごとに形が少しずつ異なる生物たちに出会い、彼の進化論は大きな影響を受けました。1859年に出版された「種の起源」の中で、「自然のなかでは同じ種であってもいろいろなタイプ(変異)が生じ、これらの間で競争が起こり、勝者が生き残る。自然は、この競争に強い性質を持った勝者を選び、代を重ねることで進化する」という自然選択説を説きました。】

ここで、「自然のなかでは同じ種であってもいろいろなタイプ(変異)が生じ」たのは、ダーウィンは自筆の通り種類の中の変異を見たのであって、別の種類に変化したのを観測したのではありませんでした。しかし、ダーウィンは代を重ねることで、種類を超えて‘微生物から人間にまで’進化するという説を説いたのです。しかし、人類の歴史の中で種類が変化したという例は一度も観測されたことがありません。すなわち、観測事実は、種類の中の変異(種分化)はあるが、種類を超えて微生物から人間にまで進化する(大進化)はないことを示しています。さて、種類を超えて進化しない理由は多くありますが、その一つを紹介しましょう。図で、犬の両親が共に中くらいの長さの毛(長い遺伝子Lと短い遺伝子S)を持っています。彼らの子どもは、短い毛SSが1、中くらいの毛LSが2、長い毛LLが1の割合で生まれます(メンデルの法則)。それらの集団がいる地域に大寒波が襲うと、長い毛の犬LLだけ生き残り、短い毛SSと中くらいの毛LSの遺伝情報は消滅しました(自然選択)。しかしまだ犬です。微生物から人間に至るのに必要な大量の遺伝情報の増加はどこにも見当たりません。逆に、遺伝情報は減少しており、進化ではなく退化です。(詳細は書籍「創造の確かな証拠」の27~32ページをご参照ください)

聖書にはこう書かれています。

神(創造主)は、種類にしたがって野の獣を、種類に したがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。(創世記1:25)

 

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ウルル(エアーズロック)の成因

  写真は、光年の謎を解く二つの理論を提唱した物理学者ジョン・ハートネット博士の自筆の油絵「ウルル」です。それに因んで、ウルルの成因についてお分かちします。

  ウルル(エアーズロック)はオーストラリア中央部の砂漠の中にある高さ350m、周囲9㎞の堆積砂岩でできた一枚岩です。C.トワイデイルら地質学者たちがその構造を調査し、成因について次のように発表したことが通説になっています。

  『6億年前から水がマズグレーブ山脈を浸食した砂を100㎞北にある大きな窪みに徐々に堆積、3.5億年前に固まって砂岩の塊になり、地殻変動の圧力で傾きながら隆起した。その後、長い時間をかけて表面がゆっくり浸食、現在の形になった。』 しかし、ウルルの岩質については進化論の長い地質年代で説明できていません。

  実際、ウルルの岩質は水による粗い花崗岩や長石の粒子砂岩で、粗い粒子と細かな粒子が混在していて全く分類されておらず、ウルルのどの堆積層も同様です。もし、長い時間かけて水底に堆積したのであれば、粒子の粗さで分別された地層になり、細かい粒子は粘土になったはずです。また砂岩の表面は、粗い粒子が浸食されずに鋭いエッジが立っており、新しい証拠です。もし何億年も経っていれば、このような砂岩の一枚岩は熱と水分と風で風化して崩壊しているはずで、結局、どうしてウルルが存在しているのか、謎となっているのです。

  聖書には、約4500年前に世界を覆ったノアの時代の洪水が記されていますが(創世記7章)、それが起こったのなら、ウルルの成因をすっきりと説明します。

 『巨大な淵から湧き出た大量の水が地表を削り、粗さを分別する間もなく一気に窪地を埋め、洪水中の地殻変動で隆起して傾き、洪水の終わりに引いていく水流で表面が削られ、現在の形になった。』

 地質調査でも、オーストラリアの砂漠はかつて水浸しで、今に至るまで渇き続けていると報告されています。

  ・・・彼らは次のことを見落としています・・・当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。(Ⅱペテロ3:56

参考文献: The origin of Ayers Rock Andrew Snelling)  http://creation.com/ayers-rock で閲覧できます。

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ネアンデルタール人の真相は?

 『20万年前に現れたホモ・サピエンス(ヒト)は、アフリカから中東へ移動、そこでネアンデルタール人に出会い、交配して遺伝子が混ざり合い大きく進化した。しかし、ハンターだった猫背で屈強なネアンデルタール人は、その後絶滅した。生き残ったのは、きゃしゃな体のヒトだった。その理由は知性が進化したからた。』このように、ネアンデルタール人とヒトとの関係について最近解ったというので、昨年、NHKスペシャル「人類誕生」で放映されました。

 しかし、現在判明している事実から整理するとおかしいのです。理論的にヒトはヒト以外の生物(サル、類人猿)との間で子どもが生まれることはありません。DNAの長さが違うからです。ですから、ヒトとネアンデルタール人との間で子どもが生まれたのなら、ネアンデルタール人は完全にヒトです。進化もあったはずがありません。なぜなら、世界のどの民族間でも子どもが生まれますが、生まれた子どもは全てヒトであって、ヒト以外の生物に進化したことは一切ないからです。

 一方で、ネアンデルタール人とヒトとの関係について創造論で最近解ったことを紹介します。証明はできませんが、聖書からこう理解できるということです。白人と黒人の間に生まれた子どもは白と黒の遺伝子を半分ずつ持っています(専門用語でムラ―トという)。そしてムラート同士の間には白から黒まであらゆる皮膚の色の子が生まれることはよく知られています。

 さて、アダムとエバがムラートであったなら、次の世代であらゆる皮膚の色をした子どもたちが生まれたはずです。そして、バベルの人たちは言語を乱されて荒野に散らされた時、彼らの中にあらゆる皮膚の色の人がいたでしょう。日照の多いアフリカに移住したグループで白い人は皮膚がんなどで数を減らし、日照の少ないヨーロッパに移住したグループで黒い人はビタミンD不足のくる病(猫背)などで数を減らしました。ついにはアフリカでは黒い皮膚の人、ヨーロッパでは白い皮膚の人ばかりになりました。これは遺伝子が減少したので退化です。ネアンデルタール人の骨はくる病の症状が見られます。黒い皮膚の人だったのでしょう。バベルから出た人たちはしばらくの間、洞穴に住み、石器を作って生活しました。(石器時代)

 キリストはアダムの家系に生まれられました。あなたは100%アダムの子孫ですか?そうでなければ、キリストの福音の対象から外れてしまいます。

 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(第1コリント15:22)

(詳細は、ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第18章をご参照ください)

画像はムラートの両親から生まれた双子 Creation Ministries International 提供 creation.com
 

 

 

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恐竜はいついたの?

 恐竜がいたのは2億5千万年前から6500万年前までで、人類が現れるはるか以前に絶滅したと言われています。恐竜は、何十億年という進化の歴史を物語っていると、今日の多くの人たちが疑いもなく信じているようです。しかし、もっともらしく紹介されていても、実際は謎だらけなのです。

 一方で、恐竜が人間と同時に生きていたという証拠は多くあります。その一つを紹介しましょう。1841年にイギリスでリチャード・オーエン卿が巨大な化石を発見したことで初めて過去に恐竜がいたことがわかったとされました。しかし英国北部のカーライル大聖堂の床に1496年に造られたリチャード・ベル司教の墓がありますが、真鍮細工が施され、多くの動物と並べて恐竜が彫られています。それは化石から復元したシュノサウルスにそっくりです。これは当時の人たちが生きた恐竜を見ていたということでしょう。(写真:CMI Creation誌 Vol..36, 2014) 聖書にもドラゴン(tannin)の記述(ベヘモスなども)があります。もし、聖書の記述を字義通りに受け取るなら、人間と恐竜が共存していたはずです。(ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第19章 参照)

「神(創造主)は仰せられた。・・・家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。・・・地のすべてのはうものを造られた。・・・さあ人を造ろう。・・・神は人をご自身のかたちとして創造された。・・・夕があり、朝があった。第六日。」(創世記1:24~31)

(詳細は、ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第19章をご参照ください)

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創造か進化かということは科学で証明可能か?

(1)「創造論は聖書を科学で証明しようとしているのですか?」、(2)「創造論と進化論は、どっちが科学かで論争しているのですか?」と質問されることがよくあります。答えはいずれも「いいえ」ですが、いつも理由を簡潔に説明することが難しいのです。今月はそれに挑戦して書いてみますが・・・。

まず、宇宙や生命の起源について、遠い過去に何があったかは再現実験できないので、科学で証明することは不可能です。これが(1)の答えの理由です。ですから、起源を扱う進化論も創造論も、何かを前提に解釈するしかありません。近年、進化論学者の意見と創造論学者の応酬がありました。

「あたかも知性によってデザインされたように見える生命が、いかにして偶然にできたのか、そのシナリオを追求するのが(進化論)生物学である。」(リチャード・ドーキンス博士)

「あたかも生命が知性によってデザインされたように見えるのは、実際に知性によってデザインされたからであるという可能性を無視してはならない。」(フィリップ・ジョンソン博士)

ここで、ドーキンス博士のことばに注目すると、初めに結論ありきであることがわかります。「デザイナーが存在しない、偶然にできた」という不確かなことを前提としているのです。ですから、ジョンソン博士はその逆の前提があり得ることを指摘しました。もう明らかですね。進化論と創造論は、それぞれ互いに相反する‘創造主が存在しない’、‘存在する’を前提とした世界感であり信仰です。そして、科学とは自然界のしくみや法則を知るための手法(ツール)であると言えます。これが(2)の答えの理由です。

すなわち、進化論も創造論も世界感ですが、必ずどちらかが真理です。だれもがそのどちらかを信仰で選び取っています。しかし、聖書は次のように言います。

なぜなら、神(創造主)について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。(ローマ1:19、20)

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年代測定の怪

 地球の年齢が若いことを示す事例を紹介すると、よく、「化石など生命体であったものの年代を直接測る放射性炭素年代測定法などが何億年という年代を‘証明’しているのではないのですか?」と質問されることがあります。詳しい説明は省略しますが、放射性炭素年代測定法で測れるのは5万年までです。ざっくり言って、それ以上古いものは放射性炭素が検出できないからです。ところが、3千万年~3億年前にできたといわれているあらゆる石炭を測定すると全て放射性炭素が検出できています。さらに、化石や生物であった炭素、すなわちグラファイト、石灰岩、方解石、大理石など、専門家が30年以上かけて地球全域を探しましたが、放射性炭素が検出できなかったものは一つもありませんでした。すなわち5万年より古いものは存在していないということです。

 では、何千万年、何億年前の化石とはいったいどういうことでしょうか?進化論で5万年より古いと考えられた化石は放射性炭素測定法で測ることをせず、化石と同じ地層の火山岩を採取して放射性年代測定します。放射性元素の濃度の比率を測定し、進化論の憶測に基づいて年代が出されます。放射性元素は図の砂時計のように時間とともに親元素(砂時計の上の瓶)から娘元素(下の瓶)に自動的に変化します。ですから、娘元素が親元素に比べて多ければ古いとされるのです。しかし、それは年代を示してはいません。だれもその鉱物ができた時の親元素と娘元素の比率を知らないからです。一般的に親元素が100%で娘元素が0%であったと憶測して計算されているのです。実際、ハワイ・ファラライ火山の1803年の噴火でできた火山岩を測定すると約200年と出るはずなのに、1億6千万年から33億年という結果が出されました。また、同じ資料を複数の異なる放射性年代測定法で測定するとバラバラの年代を示すのです。放射性年代測定法は全く信頼できるものではありません。‘地球は古いはずである’という進化論の前提で計算法が組み入れられた測定システムなのです。詳細はドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第4章を参照ください。

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細胞内にモーター!!!

<目に見えない小さなバクテリア、外部の栄養を借用して生きている極めて単純な単細胞生物と考えられていました。しかし、今世紀に入って、高度な電子顕微鏡でバクテリア内部の構造が見えるようになったことでその理解が一変しました。たとえば大腸菌の細胞内に鞭毛(べんもう)を回しているモーターが見つかったのです。その構造はステーター(固定子)とローター(回転子)が細胞膜の内側に固定され、鞭毛はベアリングで保持されています。まるで電気自動車かモーターボートそっくりですが、各部品は原子、分子でできています。このモーターがどのように進化してできたのか説明不能と考えられています。偶然の進化で徐々にできたはずがないのです。モーターは完成するまでは機能せず、生き残れたはずがないからです。言い換えれば、生命は完成品で始まらなければ存在し得ないことが分かります。分子モーターは私たちの身体の細胞内にも多く存在しています。細胞内のエネルギー源であるATP分子を造り出しているのはATP合成酵素と呼ばれる分子モーターです。そして、その分子モーターを作るのにも分子モーターが必要なのです(卵が先か、鶏が先か?)。このことでも進化論が破綻しています。実際、生命について何か発見があるたびに、気が遠くなるほど複雑で精巧な仕組みが明らかになっています。  「なぜなら、 神(創造主)について知りうることは、彼らに明らかであるからです。それは神が明らかにされたのです。神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(ローマ:19、20)

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人間はどこから来たの?

子ども:「お父さん、人はどこから来て、どこへ行くの?」
お父さん:「それは・・・サルから進化して・・・サルの前は・・・ウーン」
お母さん:「産婦人科病院から来てお墓に行くの! さあ、早く学校に行きなさい」 
子ども:「はーい」 
お父さん:「そ、それでいいのか?」

 四コママンガにあった朝の小学生とお父さんお母さんの会話です。笑えるような笑えない話ですね。果たして人間はサルから、その前はバクテリアから来たのでしょうか? 人生とは産婦人科から来てお墓に行くことなのでしょうか? 私たちがどこから来たのかわからなければ、どこへ行くのかもわかりません。

 私たちの身体は、細胞内のDNA分子の指示によって組み立てられ、管理されています。DNAには30億もの文字で遺伝の暗号文が綴られていて、あなたという人間になるか、みかんの木になるかを決めています。そして、一字でも違えば病気や障害が起こります。では、そのような精巧な暗号文(ことば)はどこから来たのか。進化論が言う‘偶然’では説明できません。偶然によっては、インクや紙など目に見える物質自体が上記会話の単純な文(ことば)でさえ綴り出すことはないからです(歴史を通して観測されたことがない)。絶対にだれかが書き込んだはずですね。そういうことなら、私たちのDNAに30億もの文字で書かれた気が遠くなるほど精巧なことばは、とてつもない知性を持った作者によるはずです。(詳細は、カール・ウィーランド著「創造の確かな証拠」をご参照ください)

 私たちはどこから来たのか? 聖書にはこう書かれています。

「信仰によって、私たちは、この世界が神(創造主)のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。」 (ヘブル人への手紙11:3)

「初めに、ことばがあった。ことばは神(創造主)とともにあった。ことばは神(創造主)であった。すべてのものはこの方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。 (ヨハネの福音書1:1~3)

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恐竜に何が起こったの?

 最近、動物や大自然を扱うテレビ番組が盛んにダーウィンと進化論を紹介しています。特に恐竜については、テレビ、博物館、教科書、雑誌、子どもの絵本でさえ、人間が現れるはるか以前(6500万年前)に巨大隕石が地球に激突して絶滅したという説明を見聞きしてきました。ですから、恐竜とは何億年という進化の歴史を物語っていると信じられています。しかし、現実は謎だらけで、全く検証されていません。

謎1)‘場違い’な場所で見つかる恐竜の化石――①小型恐竜の遺骸が、恐竜絶滅後とされている哺乳類(化石)の胃に見つかった。②恐竜の化石の地層に植物の化石はほとんどなく、土壌の化石は全くない。など。

謎2)調査が進み、恐竜絶滅と隕石衝突の年代は無関係。隕石がもたらしたと主張されたイリジウムの地層は、今ではうやむやにされている。

謎3)化石化していない恐竜の骨(何千万年前ではない)――アメリカでティラノサウルスの骨が見つかり、その骨髄に赤血球が残っていた。

 ところで、龍の伝説が多くの文化にあるのを不思議に思いませんか? 干支の龍、欧州の竜退治伝説(日本にも?)、英国の教会やアンコールワットの恐竜の彫り物(上の写真)、世界中の洞窟壁画などは化石から復元した恐竜にそっくりです。聖書にもドラゴン(tannin)の記述(ベヘモスなども)があります。もし、聖書の歴史を文字通り受け取るなら、人間と恐竜が共存していたはずです。そして、ほとんどはノアの洪水で死滅したのでしょう。(化石の成因)。

 箱船に乗って(約50種、子どもの恐竜なら十分乗れた)生き残ったものから再び世界中に散らばりました。少し遅れて人間がバベルの塔から散らばったことで、世界各地で遭遇したはずです。他の多くの動物と同じように退治され、次第に数を減らして絶滅したのかもしれません。絶滅は進化ではありません。そして、恐竜が恐竜でないものから進化したことを証明する化石はありません。

 進化論より聖書(創造論)の方が恐竜の謎をすっきりと説明します。私たちは今日、生物が新たに出現(進化)するのではなく、絶滅ばかりを見ているではありませんか。

(ドン・バッテン著「創造の疑問に答える」第19章 参照)

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進化論は科学なのか?

科学という言葉を使うと、実験や観察などに基づいて真実を発見している、もしくは客観的な証拠で裏づけられているのだというイメージを持ちます。
この意味では、進化論は科学ではありません。進化は観察されたことがなく、実験することもできず、さらには裏づけとなる客観的証拠も無いからです。

ところで科学には、歴史科学という分野もあります。これは過去に何が起こったのかを調べようとするもので、考古学などはこれにあたります。もし進化論を科学として分類しようとするならば、この歴史科学に入るでしょう。ここで注意しなければならないことは、歴史科学においては解釈が重要な位置を占めているということです。

わかりやすくたとえるなら、歴史科学は探偵の仕事に似ています。
手がかりを集めて調べ、推理して考えたストーリーに当てはめていくのです。そのとき探偵が頭の中に持っている先入観が大きく影響します。同じ事実からでもまったく異なるストーリーを考えることが出来るからです。
ある病院で爆発事故があり、白い服を着た足を引きずって歩く人が病院から逃げ出してきたという事実があるとします。 探偵は「爆発で怪我をしたのだ」と解釈するかもしれませんし、「彼はもともと入院 していた患者だ」「足の不自由な医者だ」などと解釈するかもしれません。
進化論も、生命の多様性や複雑性に対する解釈のひとつに過ぎないのです。

先ほどの例は本人に確認すれば真実が分かりますが、生命や宇宙の起源については確認が出来ません。ですから解釈だけが独り歩きできるのです。もっと言うならば、これは信仰です。なぜなら何ひとつ実証できないからです。
では「生命や宇宙は創造主によって創造されたのだ」という考えはどうでしょう。これもまた信仰です。
これについても実証は出来ないからです。しかし、それでも、このどちらかが真実だということは言えます。事実、生命は存在しているのですから、これが 偶然によるものなのか、意図的な 出来事なのか、どちらかしか無いからです。わたしたちはどちらかの答えを選ば なくてはならないのです。